夏が逝く


雨に濡れたキャンプ場は、さながら廃墟のようだった。


ぼくは傘をさし、(昨晩はせせらぎだった)濁流のほとりで廃墟の風景を見ている。
今朝早くに降りだした雨は、気がつくとシートを透し、眠っているぼくたちの背中に染みとおりはじめていた。
テントの張り方、というか張る場所に問題があったのだろう。飛び起きてみれば、ぼくたちは雨がにわかに作りだした水たまりの上に寝ていたのだった・・・。


雨の中をやはり傘をさしてもうひとつの影がやってくる。
彼女は傘の中から顔を上げると、いつものように照れくさそうに「朝ご飯どうする?」と聞いた。



高校2年だった。
誰がはじめに言い出したのか、讃岐山脈の中腹にある県営のキャンプ地に行こうという話になった。
メンバーはその頃同じ部活に所属していた友人と後輩の数名。
高校生だけでは許可が下りないというので、誰かの叔父さん(だったか恩師だったか)にアテンドしてもらった。


真夏の空の下、森の中ではすでにヒグラシが鳴いていた。カナカナと
高いところで。
蒼い風が吹き、彼女たちの笑い声が山じゅうに谺していた。
流れをまたぎ、薪を集めたりするうち、山の一日は早々と暮れていった。


食事のあと、ぼくたちはキャンプファイヤーを囲み、ぼくはいつものようにギターを弾いた。
指の間からこぼれる弦の音はぼくたちの間を縫い、歌声は白い煙となって星空に昇っていった(宴は深夜まで続いた)。
やがて気がつけば、ひとつの歌が終わったあとの余韻の中で、
誰もが一様に残り火の炎を見つめていた。


燃え尽きた薪が、コトリと崩れ、
彼女がぼくの方をみて笑った。



一晩あけると、雨が、すべてを濡らすように降りそぼっていた。
ぼくは彼女と傘を並べながら、散文的な気分のまま黙ってみんなのいる場所まで戻った。


テントの中に置き去られた誰かのラジオから、ふと中村雅俊の『盆帰り』の曲が聞こえてきた。

せせらぎに素足で水をはねた
夕暮れの丘で星を数えた
突然の雨を木陰に逃げた
故郷の君の姿 ぬぐいきれないと知りながら


あとから思えば、その歌はまるでそのときのぼくたち自身であり、いま思い返すぼくたちの姿そのものだった。
ふるさとはすでに遠く、あのとき空を覆っていた雨の色といっそう濃かった森の色もまた、遠い時の彼方にある。



30年前の夏。