所沢まち歩き


ゴールデンウィークのある晴れた一日、所沢のまち歩きイベントに参加した。


所沢市中心市街地活性化の拠点になっている野老澤町造商店(ところさわまちづくりしょうてん:通称まちぞう)を起点に、旧市街地をずっと歩いてくるというイベントだ。明治15年開業の地元の老舗割烹「美好」で食べる昼ごはんをはさんで5時間くらいのツアーだった。


ちなみにその様子はコチラ(一緒に歩いた所沢市役所の肥沼さんのブログ)
http://blog.livedoor.jp/tokorosawamachi/archives/1457175.html


住宅街の中を歩きながら主宰者の三上さんが言う。
「ぼくが子どもの頃この辺はずーっと畑が広がっててね。ちょうどこの道はぼくが自転車の練習をした道なんだ」


彼は今年75歳だそうだから、それは戦争が終わる頃の話だろうか。
ぼくたちが歩いていたのはなんの変哲もない家並に囲まれたアスファルトの道だったが、そのときぼくには子どもの頃の彼が畑に囲まれた一本道を自転車に乗って走っていく姿が見えるような気がした。
ふと、昔読んだ井上靖の「あすなろ物語」や「しろばんば」をもう一度読みたくなった。


後日、「空から見た所沢」という写真展を見に、再びまちぞうを訪れた。
パネルに掛けられた沢山のセピア色の写真の中に、一枚ぼくの目を引く写真があった。それは大正時代の所沢駅周辺の写真だったが、駅から少し離れた場所に畑が広がり、一本道が伸びているところがあった。それがどうやらこの間三上さんと一緒に歩いた道のようだった。思わず三上さん(彼はここでボランティアをやっている)を呼んで
「ここですよね。この間三上さんが言ってた道。この辺はずっと畑だったんだって言ってたとこ」
三上さんは写真を覗き込むと
「そうそう、この道でぼくは自転車の練習をしたんですよ」
と懐かしそうに言った。


結婚してから所沢に引っ越してきた。
最初のうちは通勤がたいへんだなあと思っていた(それまで住んでいた中野は会社まで30分だったが、今は90分かかる)が、住むうちに緑が多く人々の距離感もちょうどよくて、住みやすい町だと思うようになっていた。それでもあいかわらずどこか仮住まいのような気がしていた。
しかし、考えてみれば住み始めて今年でもう20年。いつのまにか生まれ育った四国高松の町よりも長く住んでいることに気づいた。
そういう意味ではぼくもすでにこの町の歴史の一部に組み込まれている。


歴史の積み重ねって大事だよなあと思う。つまりそれが「文化」だからだ。
文化とは、結局人々がそこに生き、日々を暮らしたという事実そのものなのだろう。その堆積がかたちとなって、知らないうちにぼくたちの現在の生活を彩り、ゆたかな気配を与えてくれている。


そして、そのことを伝えていくということも、また大切な仕事だと思う。



「まちぞう」オフィシャルサイト
http://www.snw.co.jp/~machizou/

ゴーストライター


米軍通信基地沿いの道は、冬枯れの中をなだらかにカーブを描きながらミューズ(所沢市民文化センター)へと続く。
プレイヤーに入れっぱなしになっているハリー・ポッターのサウンドトラックCDのせいか、フロントウィンドウ越しの景色がまるでスコットランドの風景のように見えてくる。


人もクルマもまばらな道に、やがてジョギングの人影が二つ三つ現れると、不意にそれが最近読んだロバート・ハリス「ゴーストライター」(講談社文庫、2009年)のとある描写とかぶさり、舞台はスコットランドからさらにアメリカ北西部の孤島へと入れ替わる…。



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空と海の色がひとつになって、果てしなく続くかと思われる荒涼とした土地。襲ってくる風と雨。


砂丘の向こうから近づいてくる二つの影。ひとつは女で、もうひとつは男。男の方は銃を持っている。彼らはただ主人公を連れ戻しに来たのか、それとも…?。



物語のなりゆきはこうだ。
前英国首相アダム・ラングの回顧録を執筆中だったゴーストライターが謎の死を遂げた。島と本土をつなぐフェリーから転落死したのだ。
彼に代わって回顧録を仕上げるべく雇われた主人公は、ラングの別荘がある島にやってくる。そこで彼が出会うのは、才女のようだがどこかエキセントリックで行動が予想できないところのあるラング夫人と、彼女に夫との仲を疑われている有能な秘書のアメリア。そしてもちろん当のラングその人。


前首相と初めて相対した主人公は、開口一番こんなジョークを披露する。
「あなたのゴースト(亡霊)です」


だが、その挨拶は少々悪趣味に過ぎたようだ。ぎょっとして主人公を見返した前首相の顔を見れば、それがふさわしくない台詞だったことは明らかだったから。


主人公はラングへのインタビューをはじめる。
そこで少しずつ明らかになっていくラングの半生。彼はどんな青年で、どんな理由から政治家になったのか、夫人と出会ったのはいつどこでだったか…。
やや退屈なそのインタビューは、やがてすべての謎を解く幾重もの伏線となって生きてくるのだが、この段階では主人公も、そしてもちろん読者もそのことを知らない。


突然ラングのスキャンダルが発生する。
彼の内閣で外務大臣をやっていたリチャード・ライカートが、ラングを国際刑事裁判所に告発したのだ。その罪とは、首相在任中にラングが英特殊部隊を違法利用してアルカイダのテロリストと目される4人を拉致し、CIAに引き渡したこと。その4人はCIAの拷問を受けて死んだが、4人ともイギリス国籍を持っていた。そして、ラングは彼らが拷問を受けることをあらかじめ承知していたと言うのだ。
ラングの身辺はにわかに慌ただしくなる。米国は国際刑事裁判所を承認していないため、米国内にとどまるかぎりラングが逮捕されることはないらしい。だが、ラングはかつての盟友である米国政府要人の支援を確実なものにし、戦いを有利に導くため、ワシントンへ向かう。


残された主人公は前任者の死の謎を解くため、島をさまよう。
雨風を避けるため逃げ込んだとある別荘で彼が知るのは、前任者の死体を発見した老女が何者かに殺されかかり、意識不明になっていることだ。
予想に違わず、入ってはいけない路地に彼は入り込んでしまったらしい…。



この作品、2010年にロマン・ポランスキー監督、ユアン・マクレガー主演で映画化されたが、映画化するまでもなくその描写は十分に映像的だ。

…別荘から走り出る黒塗りのクルマ。群がる報道陣とフラッシュの嵐。空を引き裂くヘリコプターの音…。

…深夜の寝室。ドアを小さく叩く音。素足にバスローブ姿で忍んでくるラング夫人…。

国際刑事裁判所で開かれる記者会見。登場する女性判事の真っ赤な口紅。再びフラッシュの嵐。彼女は毅然と言い放つ。「正義は、持てるものにも持たざるものにも、力あるものにも弱いものにも平等でなくてはなりません」…。



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しかし残念なのは、邦題が原題のとおり「ゴースト(Ghost)」とならず、「ゴーストライター」となってしまったことだ。
もちろん、「ゴースト」の第一義は元首相のゴーストライターという主人公の役割にあるのだから「ゴーストライター」で間違っていないのだが、実は読み進めていくにつれ、「ゴースト」の意味は二重三重にかぶさってくる。
だからこそ、ラングとはじめて相対した主人公が図らずも口にした「私がゴーストです」という台詞が生きてくるのだ。
「ゴースト」だと日本語でのなじみが弱いという判断があったか、もしく日本語の中で抽象的すぎるという判断がされたのだろう。いずれにしても、この作品の肝となるモチーフであるだけにちょっと残念な翻訳ではあった。

夜風と選挙と自転車


「今から来れない?」


妻からメールが届く。


ちょうど市長選の投開票の日だった。知人の選挙事務所を手伝っている妻は、夕食の後そろそろ最初の速報が出る頃だと言って出かけて行ったのだった。
しかし開票は少し遅れているらしい。手持ち無沙汰になった妻は、どこかでお茶でもして時間をつぶさないかと言ってきたのだ。


クルマのキーを持って外へ出ると、夜風が首筋を撫でる。


「今から来れない?」


ふと、20年くらい前に聞いた同じ言葉が甦る。あの日電話の向こうで同じ言葉を囁いたのは、まだ結婚する前の妻だった。



ぼくは借り物の自転車を引っ張り出すと――それは鳥山昌克がぼくのアパートに置きっぱなしにしていったサイクリング車だった――彼女の住む街まで走った。
その頃ぼくのアパートは中野にあって、彼女は下井草に住んでいた。自転車で行けば30分くらいの距離だったろうか。
夜ももうかなり遅い時間だった(そうでなければ電車で行っただろう)。自転車を漕ぐぼくの周りをすきま風のように夜風が過ぎていった。


それにしても、鳥山――今では唐組のナンバーツーになっている――は何故そのサイクリング車をぼくのアパートに置きっぱなしていったのか。それは、奴が同じアパートに住んでいる東大生から譲ってもらったものだった(その東大生が卒業して大阪に帰る時、ぼくたちはテレビやら自転車やら何やらを譲ってもらっていた)。


ぼくたちは中野のぼくのアパートから東中野の奴のアパートへ、またその逆へと大学の4年間に何百回と行き来していたが、そんなある日問題の自転車を押しながら深夜の路上を歩いていると、警官の職務質問に引っかかったことがあった。
そもそもその警官はどうしてぼくたちを見咎めたのだろう。風体に問題があったのか、それともぼくたちの人相がそれほど怪しかったのか、「それは本当にキミの自転車なのか」とずいぶんとしつこく質問された記憶がある。
権力に反抗的だったぼくたちが、つい「キミの、とは何をもってそういうのか、そもそも所有という概念についてあなたはどのように考えているのか。所有しているということの定義はどうで、所有していないということの判断はどのように生まれるのか」などと哲学談義をふっかけたりしたものだからいっそう警官を不審がらせたのかもしれない(と言うかそれ以外にないだろう)。



クルマを走らせている途中で、またメールが入る。開票速報が出たらしい。


「どうやら当選みたい」


事務所の近くにある西友の駐車場にクルマを置いて歩いていくと、急ぎ足でぼくの前を行くスーツ姿の男が二人。大柄な後ろ姿に見覚えがある。どうやら新市長らしい。その身体が、そこだけ明々と明かりの灯った事務所の入り口に吸い込まれて行ったと思うと、大きな拍手が聞こえた。


現職二期目の与党候補を向こうに回した選挙戦は、野党側が候補者を絞りきれず分裂選挙となっていた。出馬表明の遅れた新市長の陣営は、所属する野党の公認は取り付けたものの、つい半年前にトップ当選したばかりの県議会の議席を投げ打っての出馬に批判の声もあり、なかなかに苦しい戦いとなっていた。


しかし、勝負は速報が出ると同時に決まったようだった。あとで見ると相当な接戦だったようだが、東京のベッドタウンという土地柄でいつも同様低かった投票率が決着を早めたのかもしれない。



人垣越しに覗くと、妻はすでにお祝いに駆けつけた人々の応対に大わらわで、もはや隙をつぶすどころではなくなっている。
地元の国会議員やら名士やらがたくさんやって来て、なんとなく気後れしたぼくは歩道のガードレールに腰を下ろす。たまたま通りかかった選挙事務所の顔見知りの人がぼくにも握手を求め、「素人集団が選挙のプロに勝ったよ!」と興奮気味にしゃべっていく。そういう風に捉えたことはなかったが、事務所の面々を思い浮かべるとたしかにそうなのかもしれないなと思う。前回の県議選では事務所に掲げる当選の花輪づくりをぼくが手伝ったくらいだから。


夜風が往来の途絶えた駅前通りを渡り、熱気の醒めやらない選挙事務所とそこにたたずむぼくたちの背後を吹きすぎて行く。



つい最近鳥山昌克から電話があった。


「ブログに書き込みくれただろ。それで電話してみた」


奴のブログをちょっと前に偶然見つけていたのだが、池袋で墓守(!)をすることになり引っ越すことにしたという記事があったのでコメント欄に書き込んでおいたのだ。
奴が東中野から荻窪に越し、やがて結婚して国分寺に越してからぼくたちはめっきり会わなくなっていた。ぼくはすでに就職していたし、奴も唐組の旗揚げに参加して忙しくなっていた。
彼岸過ぎたら時間ができるから、と奴は言ってぼくたちの短い会話は終わった。彼岸過ぎたら遊びに来てくれと。



それからそろそろ2ヶ月がたつ。昔からの友人は、とりあえず元気だとわかっていればそれでよかったりもするのだ(^_^)v

夏が逝く


雨に濡れたキャンプ場は、さながら廃墟のようだった。


ぼくは傘をさし、(昨晩はせせらぎだった)濁流のほとりで廃墟の風景を見ている。
今朝早くに降りだした雨は、気がつくとシートを透し、眠っているぼくたちの背中に染みとおりはじめていた。
テントの張り方、というか張る場所に問題があったのだろう。飛び起きてみれば、ぼくたちは雨がにわかに作りだした水たまりの上に寝ていたのだった・・・。


雨の中をやはり傘をさしてもうひとつの影がやってくる。
彼女は傘の中から顔を上げると、いつものように照れくさそうに「朝ご飯どうする?」と聞いた。



高校2年だった。
誰がはじめに言い出したのか、讃岐山脈の中腹にある県営のキャンプ地に行こうという話になった。
メンバーはその頃同じ部活に所属していた友人と後輩の数名。
高校生だけでは許可が下りないというので、誰かの叔父さん(だったか恩師だったか)にアテンドしてもらった。


真夏の空の下、森の中ではすでにヒグラシが鳴いていた。カナカナと
高いところで。
蒼い風が吹き、彼女たちの笑い声が山じゅうに谺していた。
流れをまたぎ、薪を集めたりするうち、山の一日は早々と暮れていった。


食事のあと、ぼくたちはキャンプファイヤーを囲み、ぼくはいつものようにギターを弾いた。
指の間からこぼれる弦の音はぼくたちの間を縫い、歌声は白い煙となって星空に昇っていった(宴は深夜まで続いた)。
やがて気がつけば、ひとつの歌が終わったあとの余韻の中で、
誰もが一様に残り火の炎を見つめていた。


燃え尽きた薪が、コトリと崩れ、
彼女がぼくの方をみて笑った。



一晩あけると、雨が、すべてを濡らすように降りそぼっていた。
ぼくは彼女と傘を並べながら、散文的な気分のまま黙ってみんなのいる場所まで戻った。


テントの中に置き去られた誰かのラジオから、ふと中村雅俊の『盆帰り』の曲が聞こえてきた。

せせらぎに素足で水をはねた
夕暮れの丘で星を数えた
突然の雨を木陰に逃げた
故郷の君の姿 ぬぐいきれないと知りながら


あとから思えば、その歌はまるでそのときのぼくたち自身であり、いま思い返すぼくたちの姿そのものだった。
ふるさとはすでに遠く、あのとき空を覆っていた雨の色といっそう濃かった森の色もまた、遠い時の彼方にある。



30年前の夏。

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地下鉄の改札を通り抜けようとしてふと見ると、地上に向かう階段を、母親に手を引かれ登る小さな男の子がいた。


まだ歩きはじめたばかりだろうか。一段一段のぼる姿が健気に見えるのは、それが男の子だとよけいにそう思えるのは、大人になった姿とのギャップがあまりに大きいからだろうか。


そんな時にいつも思い起こすのが、映画「12(トゥエルブ)モンキーズ」(テリー・ギリアム監督、1995年)の冒頭のシーンだ。
両親に手を引かれた男の子。雑踏の空港ロビー。走ってくる男。出発便を告げる搭乗アナウンス。そして銃声。倒れる男。その上にかがみこむ女…。
「大丈夫よ」とささやく母親の声。だが、彼がすでに知っているように、「二度と決して」大丈夫ではない。
それは、その後何度も繰り返し物語の中に挿入される光景だ。


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場面は変わって近未来。鉄格子の中で目を覚ます主人公コール。
やがて彼は、看守の命令で荒廃した地上に出る。そこは、世界的なウイルスの蔓延で人類の大部分が死滅した後の世界だ。
地下に戻った彼は地上で何を見たかを科学者たちから尋問され、やがて試験にパスした彼は、過去の世界へとタイムトリップすることを命じられる。すべてがはじまった時代へと。


そこから物語は、ブルース・ウィリス演じる主人公とマデリーン・ストウ演じる女性精神科医キャサリン、それにブラッド・ピットのキレた演技が印象的な精神病患者のジェフリーが三つ巴になって進んでいく。
物語の焦点はむろん「12モンキーズ」。人類を滅亡寸前に追い込んだ致命的なウイルスをバラまいたのは、どうやらこの「12匹の猿の軍団」らしい。彼ら(?)を見つけ、それを阻止することがコールに与えられたミッションだ。


しかし、「12モンキーズ」とはそもそも誰なのか。どうやって彼ら(?)を見つければいいのか。それに何より正しい時代にタイムトリップする方法は?
最初から困難が予想されたそのミッションは、物語の進行とともに困難さの度合いを増していく。増大しつづけるエントロピーに軌を合わせるかのように、P.K.ディックの世界に似て、または同じブルース・ウィリス主演の「ダイ・ハード」シリーズに似てというべきか、すべての物事が何ひとつ思い通りには運ばない。
コールは何度も間違った時代に送りこまれ、間違った世界で精神病院に放り込まれ、そして未来に通じるはずの電話は間違った相手につながってしまう。
精神病院で注射された安定剤のせいなのか、はたまたタイムトリップの影響なのか、コールの頭はずっと混乱したままだ。過去と未来がごっちゃになり、空港のシーンが何度もフラッシュバックし、同じミッションを帯びたタイムトラベラーの声が天井裏やトイレの個室から聞こえてくる。
それに拍車をかけるのは、同じ病棟にいるジェフリーの支離滅裂な言葉の洪水だ。さらには、彼に「正気」を取り戻させようとする精神科医キャサリンの説得も彼を混迷に導いていく。


やがて彼は、未来の世界も「12モンキーズ」を追うミッションも幻想で、自分は正気を失っているのだと考えはじめる。地下世界しか知らない彼にとって、現在の世界で吸う空気の匂いは甘美で、日光のきらめきは彼の視線を眩惑する。こちらの世界こそが現実なのかもしれないという思いは、彼を誘惑する。
だが、そう思いはじめた矢先に未来の記憶を想起させる出来事に出会い、やがて事態は思わぬ方向へと転がっていく…。


何度もフラッシュバックする少年の日の記憶と、眼前に繰り広げられる男のタフな世界との対比が鮮やかだ。どうしてあの日からここへたどり着いてしまったのか。どんな物語がそこから、やがて地下世界の鉄格子の中へと彼を導いていったのか。映画は何ひとつ明らかにしないまま終わるが、それだけに後に長く余韻を残す作品になっている。


考えてみれば「ダイ・ハード」シリーズでも、ブルース・ウィリスの目元にはいつも少年の日を思い返すような表情が浮かんでいたような気がした。


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生命はなぜ生まれたのか




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生命とは何か。


この不思議な存在を、神という言葉を使わずに解き明かすことは可能だろうか。
それはずっとぼくのテーマだった。


1. 連続的な状態


すこし話はそれるが、昔、京大の霊長類研究所にいた友人に「意識は進化のどの時点から生まれるのか」と聞いたことがある。
彼の答えはこうだった。
「意識のあるなしは連続したもので、ある時点で突然生まれるものじゃないんだ」と。


聞いてみれば、そりゃそうだよなと思う。


意識とは、脳の一種の「状態」 だと考えてみればいい。
高原と低地に境界がないように、健康と病気とに境目がないように、ある状態と別の状態との間にあるのはただ相対的な変化だけだ
そう考えてみれば、イヌには人間のような意識はあるのか、トカゲはどうかといった議論はナンセンスだとわかる。意識が、生命の進化の長い過程の中で脳がしだいに持つようになったある種の「状態」のことであるなら、そこに絶対的な「はじまり」は存在しない。
だが、生命そのものについて考えるときぼくたちは同じ誤りを犯しているかもしれない。


生命とは何かとぼくたちは問う。その起源はいつか、と。
一体いつから、自らの意思(もちろんそれは人間が持つような意思とは異なるが)を持ってうごめき、群れ、自己を保存し、種を存続させようとするこの不思議な存在は生まれたのか。


しかし、もしそうした「自己保存」や「種の存続」といった定義によって生命というものを同定し、「物質」との対比で生命を捉えようとするなら、その誕生は永遠に解けない謎となるだろう。何故ならそうしたやり方は、「無」からいかにして「有」が生まれるかという問いを立てることとイコールだからだ。
決して無から有は生まれない。そうなると生命の誕生は永遠の謎となってしまう。だが、生命もまたひとつの「状態」なのかもしれないとしたらどうだろう。


2. 自己組織化


1977年、イリヤ・プリゴジンという化学者が「散逸構造論」でノーベル賞を受賞した。


以下、Wikipediaから引用する。


散逸構造とは、平衡状態でない開放系、つまり、 エネルギーが散逸していく流れの中に自己組織化によって生まれる、定常的な構造のことだ。
散逸構造は、岩石のようにそれ自体で安定した自らの構造を保っているような構造とは異なり、例えば 潮が流れ込むことによって生じる内海の渦潮のよう に、一定の入力のあるときにだけその構造を維持し続けているようなものを指す

プリゴジンが提起した概念はきわめて画期的だった。
上にある渦潮の例に限らず、「自己組織化」と呼ばれる現象は自然界に数多い。そこでは、ある種の構造がエネルギーの流れの中で自然発生的に生まれ、エネルギーの供給が続くかぎり存続しつづける、ということが常に起こっている。宇宙には元々、そうした自律的なはたらきが備わっているのだ。


生命とは他でもない、自己組織化によって生まれた散逸構造のひとつの形態だと言える。
この発見によって、人類は生命と非生命とをひとつの枠組みで語る方法論を手に入れた。そのふたつは、もはや無と有の関係ではなくなった。つまり、必要十分なエネルギー供給が存在するある種の環境下で発生した散逸構造が、その維持の継続性を自ら担保する構造へと遷移した時に、それは生命と呼ばれる状態になるのだ。


そのように捉える時、非生命と生命を隔てる境界線はきわめてぼやけたものになる。そして、「生命の誕生」という特権的な瞬間は存在しなくなる。


3. 生命の内と外


この本の中で著者は生命に関するいくつかの定義を紹介しているが、Oriver & Perry(2006)による定義はこうした散逸構造のイメージに沿っている。


生命とは、外的および内的変化に応答し、自己の存続を推進するような方法で自己を更新する自律系を可能にするような事象の総和である

多少難しいが、ここから読み取れるのは、生命は環境の絶え間ない変化の中に常に晒されていること、それゆえ生命の存在は決して固定的なものではなく、絶えず推進・更新されるべきものであることだろう。
それは自己組織化する散逸構造としての生命の捉え方に他ならない。


こう定義する時、生命は時間軸上において相対的である(生命の誕生という特権的な瞬間はない)だけでなく、空間的にも相対的な存在となる(生命の外部と内部を隔てる明確な境界もまたない)。


先の生命の定義を問うくだりで、著者はこんな風に述べている。


生命の定義?あんまり最近は気にしてないねぇ。近頃は生命を生命だけで考えたことないしねぇ。生命が生命だけで存在することはあり得ないしねぇ。生命を取り囲み、生命を含んだ環境(生命圏)の在り方やその中のエネルギーや物質の流れがむしろ重要なんじゃないかと思うしねぇ

独特の文体が気になるが、ここで言いたいのは、生命は常にエネルギーの流れの中にあること、それをどこからどこまでが生命に属するものでどこからは外部だという風に輪郭を規定することには意味がないこと、生命について考えようとするならエネルギーの流れの全体を捉え、その振る舞いの総体を見るべきであることだろう。


これもまた散逸構造の考え方に則っていることは言うまでもない。
「人はひとりでは生きていけない」というが、生命そのものが実は独立しては存在し得ないということだ。それは単に酸素が必要だとか栄養物が必要だという話ではない。まず生命があって、それが酸素や栄養物を必要とするのではなく、そもそも生命とそれを取り囲む環境とはひとつの「現象」であり「状況」であって、それらを分けて考えることはできないということなのだ。
むしろ環境という多種多様なエネルギーのせめぎ合う「場」の中に浮かび上がった結節点のようなもの、それこそが生命の姿であるからだ。


4. 生命の誕生


もう一度「生命の誕生」という話に戻ろう。


問題は、現れてはエネルギーの枯渇とともに消滅する高分子体の散逸構造が、どんな場所で、かつどうやって半永続的にエネルギーを獲得し、自らを維持し続けられるようになったのか、ということだろう。
著者は、その場所を原始海洋の至るところにあった「熱水活動域」としている。その多くは、


高温かつ激しいマントル対流が引き起こす地殻をビリビリに切り裂くプレートテクトニクスの拡大軸で起きるものであった。

そして、そこで起こった(と思われる)現象を次のように描写する。
しばらく引用が続くが、専門度の高い話なのであえてそのまま紹介する。ただ、全部は引用できないので、その先は原書を参照してほしい。


熱水活動がどのようなものであったにせよ、熱水活動自体は無機・有機物を濃縮し、数多くの有機物発酵生命が誕生する場となった。無数に誕生する有機物発酵生命のほとんどすべては、硫化鉱物の持つ高い化学反応性や触媒活性を取り込む進化を遂げたり、互いに「混じり合い」「補完し合い」「奪い合い」を繰り返し多様性を増大させたりしたが、有機物供給が枯渇するにつれ、最終的な生命活動の持続に必要なエネルギーを確保することができずに消え去って行った。

こうした「一発屋」的な生命の誕生は「原始地球で数え切れないほど起きたはずなのだ」と著者は言う。


もしその場で私が観察できていたら、「おっ、こっちは化学進化というレベルを超えているね。あっちのはまだ単なる化学反応の寄せ集めだね。全然ダメだね。おぉーあれあれ、一回増えちゃったんじゃない?もしかして最古の生態系イっちゃう?イっちゃう?あーやっぱりだめか」みたいな感じ。

それは一般的な散逸構造のほとんどがたどる姿だ。だが、ごくまれに例外的な状況が発生することがある。


当時の海底熱水では優占的であった、コマチアイト熱水活動域の熱水には、他の熱水にはない特徴があった。熱水に含まれる水素の濃度が群を抜いて高かった。このようなコマチアイト熱水活動域に誕生した無数の有機物発酵生命の中から、熱水から供給される高濃度水素と海水中の二酸化炭素をエネルギー源として原始的なメタン生成やその他の水素エネルギー代謝能を持った「最古の持続的生命」が生まれた。

このように見ていった時、浮かび上がってくるのは、生命とは化学反応の連鎖の一形態にすぎないというひとつのビジョンだ。
ある高エネルギーの場において、一群の高分子体による複雑な化学反応の連鎖が、ある状況の中で、その反応そのものを持続させる反応形態へと遷移する、その時に生命が誕生したという訳だから(それを生命と呼ぶのは、もちろん人間の勝手な都合でしかないのだが)。
それを宗教と科学の対立という観点から捉える人もいるだろう。しかしそれは間違っている。


5. 言語という限界


そもそもぼくたちはなぜ生命を、というよりも「存在」を特権視するのだろう。
エネルギーの渦巻く「状況」の中から生命という「存在」だけを取り出して語ることには意味がないし、連続的な状況の変化の中からある「状態」(自己組織化、または持続的な自己組織化という状態)だけを切り出して語ることにも意味はない。それはここまでで見てきたとおりだ。


にも関わらずぼくたちが「存在」を特権視するのは、恐らく人間の認識構造そのものに関係がある。



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「雪片曲線論」(青土社、1985年)の中で中沢新一はこう述べている。
世界中のあらゆる言語においてベースとなっているのは、まず主語(S)を特定し、次にその振る舞いや状態を述べる(述語=V)、いわゆるS+Vの構造であると。
この認識構造で世界を捉えようとすれば、まず「存在」というかたちで主語を切り出し、次にそれが環境とどう関わるかを見ていく(=述語)、という順序にならざるを得ない。存在と環境が渾然一体となった状況を、そのままで掴み取ること(それは恐らく述語だけで世界を描いてみせることに等しい)は言語にとって、ということはすなわち人間にとって簡単ではないのだ。


科学と神(宗教)との対立という観点で言えば、実はそこで語られている神という概念そのものが、そもそも上で見た言語の構造と無縁ではない。神という概念が、混沌とした世界の中に絶対的な(一神教的な)ひとつの存在を打ち立てるということであるならば。
ある意味で、(絶対神としての)神もまた人間の認識構造の限界から逃れ出てはいないということだ。


つまり、生命を「存在」としてではなく「状況」として捉えようという考え方は、神や宗教に対する科学の優越ではなく、人間の認識構造に対する、もしくはそれを無自覚に是として疑わない思考形態へのアンチテーゼというべきだろう。
その対象には、他でもない科学そのものさえ含まれている。例えば、物理学の最先端では「究極の物質の根源、究極の素粒子は何か」といった探求が行われている。しかし、その答えは恐らく生命のケースと似ていて、量子場においてさまざまに変化するエネルギーの、その時々の状態がさまざまな素粒子の形態を取って現れてくる、ということなのだ。素粒子という根源を追求することには恐らく意味がなく、どういうエネルギーの状況の中でどんな変化と反応が起きているのかを見るべきなのだ。


6. 神はいるか


ここまで、あえて絶対神としての神について考えたが、実際には絶対神は世界の宗教史上においてむしろ少数派だ。
インドのブッダはかつて世界を「空」の概念で捉えようとしたし、中国人は世界を概念ではなくあくまでも実践的な行動哲学において語ろうとした(孔子老荘など)。また、ぼくたち日本人は世界を森羅万象に潜む霊性において捉え、八百万(やおろず)の神という考え方を生み出した。


同じ神とは言っても(もしくはそれを神と呼ばないにしても)、主として東洋におけるこうした世界観は、ある種のエネルギーの「状態」として世界を捉えようとする思考に近い。例えば、仏教における「空」の概念は、そこに何もないということではなく、存在が「空」ということだ。それはすべてが生々流転する場であり、生者必滅すなわち諸行無常の世界なのだ。
そうした世界観は、「存在」とその「振る舞い」という人間の認識構造のパターンを何とかして超越し、世界をありのままに(述語だけで)捉えようとする人々の思考の苦闘の跡であるように見える(それを象徴するように、日本語においては、しばしば主語が消滅しても文が成立する。そもそもが、主語と述語の間に形容詞や副詞など他の要素が入り込むことによって、主語と述語の関係を曖昧化するのが日本語の特徴ではある)。


そうした観点からすれば、科学と宗教は対立するどころか、かなり近い世界観を目指す動きさえあることが見えてくるのではないだろうか。
唯物論からすれば神は存在しない。だが、問題は「神とは何か」、言い換えれば、ぼくたちは神という概念で何を表現しようとしているのか、ということだ。
神を、つかのま生あるものを生じさせ、作用させている巨大なエネルギーの場であると捉えるならば、それは万物の創造主と呼ぶにふさわしく、常にそこに神はいる、と考えてもまったくおかしくはない。
考えてみれば、さまざまなレベルのエネルギーがせめぎあう場において、さまざまな自己組織化パターンが励起し消滅するその状況は、きわめて科学的な分析と考察を経た後でなお美しく、かつ神秘的ですらある。そこにおのずと生まれてくる畏敬の念は、科学を知ろうと知るまいと、いや知ってなお大きくなりこそすれ、小さくなることはないように思うのだが、どうだろうか。