教育をめぐる断章

学ばれない教訓

もう昨年の暮れの話になるが、ある日の「ニュース23」の特集テーマは「学ばれない教訓」だった。 いじめが元で娘が自殺してしまった父親のその後の活動を追いながら、いじめによる自殺が相次ぐ現在を告発しようというのがその趣旨だった。 問題意識に満ちた…

文化が教育にもたらすもの

頭のよい子が育つ家作者: 四十万靖,渡辺朗子出版社/メーカー: 日経BP社発売日: 2006/08/10メディア: 単行本購入: 9人 クリック: 367回この商品を含むブログ (32件) を見る この本によると、「できる子どもは、子ども部屋では勉強しない」らしい。 むしろでき…

子ども「とともに」生きること

重松清の「ナイフ」(新潮文庫)を読んだ。全篇がいじめを題材にとった重い短編集だ。 ナイフ (新潮文庫)作者: 重松清出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2000/06/28メディア: 文庫購入: 5人 クリック: 162回この商品を含むブログ (159件) を見る いじめられて…

通知表の価値とは

あるサイトで、学校の通知表とその存在価値、評価の客観性をめぐる議論があった。 そこでも書いたことだが、重要な論点を含んでいるので、ここに再掲する。 評価をめぐる言説においていつも気になるのは、視点をあまりにも「個」にフォーカスしすぎてはいな…

統計とクオリアと社会政策

教育という見地からものを語ろうとすると、どうしても進歩主義的な論調になる。 世界の捉え方に上下関係を持ち込み、上を(先を)目指そうという話になる。 たぶんそれが教育の本質なのだ。 教育という概念そのものが、進歩主義と切っても切り離せないものな…

学校選択制について

「教育界に新風を」という抽象論からスタートして制度論を考えていくと、ひとつの方法論として学校選択制が浮かび上がってきます。 しかし、「教育=文化」論の見地から考えるなら、学校選択制は地域文化を破壊する方向にはたらくのではないかという懸念があ…

教師の裁量幅を広げる

教師という仕事は、優れて臨床的な職業と言えますね。 昨今の教育論のひとつの問題点は、この「臨床」という視点が抜け落ちて、制度論に話が終始してしまっていることかも知れません。確かに、臨床論は定型化・一般化できないので、議論の俎上に乗せにくいの…

臨床という姿勢

「進歩主義」に対して、私たちが目指すべきなのは、「臨床」という姿勢ではないでしょうか。 たとえば、病人を前にした医者は、決して「人体はこうあるべき」などという理想論をぶったりはしません。ただ病状を調べ、最適な治療方法を考え、実行します。それ…

光と影

この2年ほど情報システムの開発を担当していますが、来年の本格導入を控えての大工事のため、この3連休は休日出勤です(正月を除いて、2月まで毎土日ごとに工事はつづきます)。平日はネットワークを止められないので、そういうスケジュールにならざるを得な…

進歩主義と決定論

人間はどこまでも快適性を追求せずにいられないところがありますから、どんどんエスカレートしていけば、完璧を求めるようになります。 それもまた人間性のうちと言ってしまえばそれまでなのですが、これが進歩主義と結びついて正当化されてしまうと、弊害の…

「経験」が独創性を生み出す

前の日記で私は、「独創性は個性よりもむしろ関係性(チームワーク)から生まれる」と述べました。その中で、「心配しなくても(画一的教育の中で育った私たちでさえ)十分個性的だ」とも言いましたが、さらに「個性」について掘り下げて考えるなら、私はこ…

「個性」尊重教育は独創性を育てるか

個性と独創性とは違いますよね。個性とは、独創性のある人もない人もいる、そういうことを指して個性と呼ぶのではないでしょうか。 独創性ある「個」人を育てようというなら、見所のありそうな奴を見つけて英才教育でもやればいい。全員のあるがままの個性を…