個客代理人--もう広告もプロモーションもいらない?

■序章



2009年夏のある日。マックのドアを開けたらすごいことになっていた。


「マックでDS」企画の第一弾で、「まぼろしのポケモン」がマックの店舗でダウンロードできるというキャンペーンが、その週末からはじまっていたのだ。
家の近所のマックでかつてこれほどの行列ができているのは見たことがない。注文カウンターからドアのところまでぎっしりと人が詰まっている。そういうぼくも何のことはない同じ穴の狢(むじな)。列の前方に目をやると、一足先に来ていた息子がDSを抱えながらこちらに手を振っている。列をかきわけ息子が並んでいるところまで行くと、奴は入れ替わるように「2Fで試してくるから」と後も見ず駆け出して行った。


広告離れと言う。


2009年の初頭に広告業界をにぎわせたのは、リーマンショックとその後に来た世界同時不況のあおりを受け、2008年の広告市場が5年ぶりのマイナス成長になった(電通「日本の広告費」)というニュースだった。

しかし、実際にはTVや新聞などのマス広告費は2005年からずっと減少を続けていたのであり、リーマンショックを待つまでもなく広告業界には転機が訪れていたはずだった(その後、2009年の広告市場は2008年をさらに大きく下回り、マス広告費は5年連続での減少となった(同じく電通「日本の広告費」より))。

そうした中、広告界は今さらながらマスからSPへのシフトを鮮明にしつつある。だが、そんな風に状況を後から追いかけているだけではもはや失地を回復できないところまで、広告業界は追いこまれているのではないだろうか。ぼくたち広告関係者は、もっと根源的なところから自らの拠って立つビジネスとその存在価値について思いをめぐらすべきではないのだろうか。


その華やかさゆえか、広告宣伝は何やらマーケティングの主役であるかのように語られてきた。広告が時代を創り、引っ張っていくかのように持ち上げられたことさえあった。
しかし、ウェブの普及によって販売とプロモーションの境界線が消滅し、広告はその特権的な地位を失った。販売とプロモーションが別物であり、マス(大衆)に対してプロモーションをかける手法が限定されていたからこそ、広告は特権的地位に安住できたのだ。だが、ウェブ広告の登場がそれを突き崩し、さらにはクライアントの自社サイトが巨大なメディアと化した今、販売とプロモーションは連続的なものとなり、プロモーションはもはや広告代理店の専売特許ではなくなった。


そもそも広告とはプロモーションの一手法だが、プロモーション自体がマーケティングの一領域でしかない。問題は、プロモーションに重きを置いてきたマーケティングの在り方に変化が訪れているということであり、そこからマーケティングそのものが変容しようとしているということだ。そこから見れば、「マス広告の退潮」などということは表層的な事象に過ぎないし、「マスからSPへ」というスローガンも局所的な問題意識の表明でしかない。


この論考の主題は、「マーケティングにプロモーションは必要なのか」ということだ。その問いを、さまざまな事象を手掛かりにしながら掘り下げていきたい。そしてその旅は、さしあたってハンバーガーショップの行列というところからはじまる。