はじまりの日

今から思えば、それはある意味ではじまりに過ぎなかった。


■大地震


3月11日午後2時46分。ガタガタと会議室の机が揺れはじめる。
クライアント筋でもある某通信キャリアの担当者が、ちょうどキャンペーン商品の説明をしている最中のことだ。
いつものようにすぐにやむかと思われたその揺れは、しかし時間とともにおさまるどころかむしろどんどん強くなっていく。
気がついたときには、もう立ち上がることもできないくらいビル全体が激しく揺れている。


何分くらい椅子にしがみついていただろうか。揺れがおさまるとともに、ビルの館内放送が入り、オフィスから人がわらわら出てくる。


その時にはまだ、ぼくたちの誰も事の重大さに気がついていない。
通信キャリアの担当者は中断していた説明を続けようとし、ぼくたちはそんな彼を制止すべきかどうか迷っている。


結局、繰り返される館内放送の避難誘導の声に押されるかたちでビルを出る。キャリアの担当者たちを見送りがてら、目の前にある靖国神社までぞろぞろと歩く。まるで抜き打ちの避難訓練のように。
ちょうど次に来た大きな余震の時だろうか、地面に立っているとそれほどの揺れでもないが、木立越しに振り返ってみるとビルとビルが互いにぶつかり合わんばかりに揺れている。誰かがつけたワンセグの画面には、圧倒的な高さの津波に飲み込まれるどこか東北の町が映っている。


少しずつ事態が現実感を持って迫ってくる。
間断なく鳴り響く救急車のサイレンの音。すぐ近くの九段会館の天井が崩落したというニュース。
携帯回線は電話もショートメールもまったくつながらない。家族との連絡が取れないことに誰もがやきもきしはじめる。
午後早退していたS氏が電車の中に閉じ込められていることをFacebookの画面が伝えてくれる。同じく早退したN君は西武線が止まり、高田馬場に戻ってサイゼリヤで時間を潰しているらしい。


夕方が近くなって雨が降り出す。
「いったん荷物を取りに戻り、その後ただちにビルから退出するように」という指示がビルの管理事務所から出る。
オフィスに戻り、会社の固定電話で家にかけるとあっさりつながる。家族の無事を確認し、ひとまずほっとする。


次の問題はどうやって家に帰るかだ。電車はほとんど動いていないし、退出と言われてもすぐに帰れる手立てはない。ニュースサイトで交通機関の状況を調べると、JRは早々に本日中の全線運休を発表している。
一方、電車に閉じ込められていたS氏は線路の上を次の駅に向かって歩きはじめたようだ。N君はまだ高田馬場のサイゼリヤ。電話が通じにくい中、Facebookが人々の安否を確認する重要な情報源となっている。


そうこうするうち時間が過ぎ、結局オフィスを出たのはほとんどの社員が退出した19時近くだった。


■高田馬場へ


「あれ?どうするんですか?」


オフィスを出ようとする背中に、総務のU氏が呼びかけてくる。ぼくの家が所沢だと知っているのだ。
「いやあ…」とぼくは答えに詰まる。


実は何も考えはなかった。
正確には、まずは高田馬場まで行こうとそれだけ思っていた。行けば何とかなるような気がしていた。
高田馬場は毎日通勤に利用している駅というだけでなく、学生時代から何かとなじみの深い場所だ。もし家まで歩く場合、高田馬場がその最短経路上にあるのかどうか正確なところはよくわからないが、そう大きくはハズレていないだろう。
JRはともかく、西武線はもしかすると動き出すかもしれないという期待もあった。


一方、総務の方では水道橋のホテルに部屋を何室か確保してくれていた。
普通に考えればその日はホテルに泊まり、翌日電車が動きはじめてから帰るのが正解だろう。なにしろ所沢までは30キロあるのだ。
実際東村山に住んでいるO氏などは早々にそっちに泊まることを宣言していた。
しかし、何故か自分でもよくわからなかったが、気持ちは高田馬場に向かっていた。とにかく家族のいるところに早く近づきたかった。


結局「考えます」と訳のわからない返事をしてオフィスを後にする。
荻窪に住んでいるS君が靖国通りをまっすぐ行くと言うので、途中まで一緒に歩くことにする(後から思えば靖国神社を突っ切って神楽坂に出、そのまま早稲田通りを行けば1キロは短縮できたのだが)。


通りは、まるでお祭りの夜のように人で溢れている。東京中のすべての人が一遍に歩いているみたいだ。
市ヶ谷駅を過ぎ防衛省庁舎の前を通りかかると、巨大なヘリコプターがバリバリと夜を引き裂きながらゆっくりと庁舎ビルの屋上に着陸しようとしているのが見える。


曙橋のあたりでS君と別れ、東新宿方面へ斜めに折れる。急に人影が減り、それとともに寒さがふいに足元から登ってくる。
スマートフォンGoogleマップで確認すると、そこからもう少し北に行けば、早大文学部キャンパスの南辺りに出るようだ。懐かしいが、回り道して寄っていく心の余裕はない。


さらに歩きつづけ明治通りに出ると、ふたたび人の数がどっと増える。歩道を歩ききれない人々が車道まではみ出しながら歩いている。
あまりの人の多さに辟易し、大久保二丁目まで北上した後しばらくして脇道に入る。
一本中に入ると、ふたたび人の姿がほとんど見えなくなる。まるで普段と変わらない閑散とした住宅街が、薄暗い街灯に照らされながらひっそりと続く。寒さのせいかだんだん尿意を覚えはじめる。


やがて大きな公園に出る。
ここにも人影はほとんどない。公衆トイレを見つけ用を足して一息つく。Googleマップで調べると西戸山公園となっている。学生時代にはこのあたりまで来たことはなかったが、地図で見ると早大の理工学部キャンパスのすぐ隣のようだ。そこから高田馬場の駅まではそう遠くない。


時計を見ると20時過ぎ。オフィスを出てからすでに1時間半歩いていることになる。


■大渋滞


高田馬場に出てみると、駅舎はシャッターを下ろし人々を締め出している。
電話ボックスの前に大勢の人が列をなしている。携帯回線は相変わらずまったくつながらなかったから、みんな公衆電話から連絡を取ろうとしているのだろう。
通り過ぎながら、何気なしにふとみると列の中にN君がいる。
「おーい」と手を振る。



サイゼリヤを閉店で追い出されたらしい。奥さんがこっちに向かっていて、そろそろ着いてもいい頃なのだが、どうやら渋滞にはまっているようだという。
彼の家は武蔵関のあたりだ。「途中まで乗って行きますか」との言葉に、一も二もなく甘えさせてもらうことにする。


ちょっと前に妻から「クルマで迎えに行こうか」というメールが入っていたが、「様子を見てメールする」と答えてあった。道路が相当に渋滞していることはすでにネットでわかっていたし、とても都心までは来れないだろうと思われたからだ。何とか(歩いてでも)郊外に出て、そこからもう一度連絡を入れるつもりだった。
しかし、もしここで武蔵関辺りまで乗せてもらえればだいぶ距離が稼げる。


ほどなく彼の奥さんの運転するクルマがロータリーに到着する。
礼を言って乗せてもらう。妻にもメールを入れ、武蔵関辺りまで乗せてもらうと伝える。すぐに「クルマで迎えに出る」と返事が入る。
だが、クルマが動き出した瞬間に、ぼくは自分の考えが甘かったことを知る。


渋滞だということはわかっていた。だがその程度についてはまったく認識が甘かった。
早稲田通りに乗り入れたクルマは、10分たっても20分たっても10メートルも進まない。比喩ではなく明らかに歩いた方が早いくらいだ(歩くにはあまりにも距離がありすぎるのだが)。
妻からもふたたびメールが入ってくる。
所沢も大渋滞だそうだ。所沢ですでにクルマが動かないほどの渋滞なら、その先は推して知るべしだ。前途に垂れ込めていた暗雲が一気に濃くなってくる。


それから、早稲田通り沿いに中野付近までたどり着いた時には、すでにクルマに乗ってから2時間以上がたっていた。
その間にも、歩道を歩く人々の群れは切れ目なく続いている。みんな決して疲れた風ではなく、むしろ強い足取りで歩いていく。
ぼくはN君との会話の合間にそんな人々の姿を見るとはなしに眺め、またなじみの建物を探し(学生時代には中野にすんでいたので、その辺りは知らない場所ではなかった)、手元に視線を戻してはFacebookで会社の同僚たちの動静を知ったりしている。
ある者は家にたどり着き、ある者は会社が用意したホテルに集まり、またある者はまだ歩いている。とっくの昔に諦めて店で一杯やっている者もいるし、どこかの映画館が開放した座席で休んでいる者もいる。
いずれにしても、Facebook経由でどんどん入ってくる情報のおかげで、ひとりで歩いているときからずっと仲間と一緒にいるようだった。


中野付近で足止めを食ったままどれくらいの時間がたっただろうか。
ふいに、東村山辺りで動けずにいる妻からメールが入る。


「西武線が動き出したみたいよ」。


あわてて西武鉄道のサイトをチェックすると、たしかにそんなアナウンスが出ている。
クルマはちょうど中野五丁目の交差点まで来たところだ。
地図で調べると最寄りの駅は新井薬師前。N君の奥さんがすばやくカーナビをチェックし、ハンドルを右に切る。


新井薬師前方面に抜ける道はなぜか空いていた。新井一丁目辺りでN君のクルマを降りると、最後の100メートルくらいを歩く(考えて見れば、その道はまだ結婚する前に中野のぼくの家から所沢まで帰る妻をよく送っていった道だった)。


新井薬師の駅前まで来た時、目の前の踏切を明かりのついた電車が走っていくのが見えた。


■帰宅


最初に来た急行は超満員だった。一本見送り、次の各停を待つことにする。


ふと、まだ食事をとっていないことに気づく。とにかく高田馬場まで行き、状況を見てからどこかの店に入ろうと思っていたのだ。そこで偶然N君に出会い、奥さんのクルマが到着して、と展開が慌ただしかったのでまったく忘れてしまっていた。
とは言え、見渡したところで開いている店は見あたらず、家まで我慢することに決める。


やがて来た各停の座席はガラガラだった。
いったん乗ってしまえば、あとはもういつもの帰り道と大差はない。
家の近くの駅に着いた後ついいつものようにTSUTAYAに向かい、閉まっているのを見て地震のことを思い出したほどだ。


結局、家にたどり着いたのは12時過ぎだった。オフィスを出てから5時間以上たっていた。
ぼくを迎えに行っていた妻が東村山から引き返し、家に戻ってきたのはそれから30分くらいも後だった。途中までクルマに乗せてくれたN君たちの方は、1時前にようやく家にたどり着いたそうだ。


こうしてそれぞれの夜を過ごした後、ぼくたちの誰もがひとつの事件が終わったと思っていた。だが、今となっては誰もが知っているように、それは一連の事件のはじまりの1日でしかなかった。そして、これを書いている時点でそれがいつ終わるのか誰も知らない。


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投稿者: モアイ 、固定リンク: 歳時記 、日付: 4/02/2011 01:35:00 午前

スマートフォン・ブーム

暮れにauのスマートフォンIS03を買った。

IS03

それまでスマートフォンは2年前に買ったwillcom03を使っていたので、03から03に乗り換えたという訳だ(メーカーはどちらもシャープ)。

気持ちとしては「やっと」という感じだ。
au回線を家族契約していることと、willcom03の契約が2年縛りだったことから、iPhoneの流行を横目で見ているしかなかったのだが、auが(ようやく)本格的なスマートフォンを出してくれたことでやっと乗り換えることができた(ついでにケータイと2台持ちの状態も解消できた)。


willcom03はいろいろと使いにくいところが多かった。
問題の根本はWindows Mobile。インターフェースの基本がスタイラスを使ったペンオペレーションを前提としている。もっともこれはさまざまなアプリを入れることでiPhone風のタッチオペレーションに変えることができる。それよりも大きな問題はOSの不安定さで、ほとんど毎日一回以上は端末を再起動していた。<
いろんなアプリを入れてインターフェイスや操作性の改善を図っていたので、そのアプリどうしが衝突していたのかもしれないし、それともOSの根本的な問題だったのか、そこは判然としないままだったが。

それに加えて、PHS回線なので通信スピードが遅い、ネットにアクセスするたびにいちいちダイヤルアップする、画面が小さいなど、不満はいろいろとあった。


逆に、魅力だったのはその安さだ。
ウィルコムにはネット定額3,880円のプランがあるので、通話専用のauケータイと組み合わせればかなり安い運用ができる。auケータイでネットをPCサイトビューアも含め上限まで使えば、基本料と合わせて合計約7,000円かかるが、ウィルコム定額プランとの組み合わせなら約5,000円で済むのだ。
また、キーボードがついているので文章を書くことの多いぼくにとっては非常に便利だったということもある。


ともあれ、これでようやく本格的なスマートフォンを手に入れることができた訳だ。
ところで、IS03を手にすると思い出すのは10年ほど前に流行ったPalmのことだ。

PalmV

サイズも形態もいま主流のスマートフォンとほぼ同等で、アプリ(palmwareと呼ばれていた)も豊富に供給されていた(そもそもサードパーティの開発環境を整備することによってアプリ市場を活性化させ、それをハードウェアの魅力づけに活用しようというのはPalmがはじめた戦略だった)。
一時は本家のPalm社をはじめ、ソニーなども互換製品を次々発売して市場が相当盛り上がった(ぼくも6年間で4機種を乗り換えていた)。


スマートフォンとの最大の違いはと言えば、通信機能がなかったことだ(末期にはソニーが通信機能の付いたものを出していたが、通話機能はなかった)。
現在の多くのスマートフォンと同様タッチオペレーションだったが、基本は(Windows Mobileと同じく)スタイラスによるペン操作だった。もっとも、当時からそれは決して主流にはなり得ないと思っていたし、実際日常的に使っていても親指によるタッチ操作の方が全然なじんでいた。また、それを容易にするためのアプリもいろいろ出ていた。
いずれスマートフォンの時代になると、その頃からすでに予想されていた。実際Palm社はアメリカではすでにスマートフォンを発売していたが、ついに日本には導入されないまま、先にブームの方が終焉してしまった。
当時の総括としては、結局この手のガジェットを買うのはある限られた範囲の層に過ぎず、一般消費財にはなり得ないということだったように思う。


それだけに現在のスマートフォンブームには複雑な思いがある。
電車の中で見ていると、若い女性のほとんど半分はiPhoneを持っているように思えるし、ニュースなどを見ていると、これからは誰もがスマートフォンを持つかのような論調になっているが、ほんとうにそうなのだろうか?
かつてのPDAブームとその終焉を知っているだけに、そこには懐疑的な思いがどうしても頭をもたげてくる。


実際使ってみればわかるが、スマートフォンなんて決して万人に使いやすいものではない。タッチパネルでの入力には慣れが必要だし、電力消費が激しいのでバッテリは1日持たない。もちろん、そうしたマイナス要因を補ってあまりある多機能性がスマートフォンにはあるわけだが、多機能=汎用的ということは特定の機能に限れば専用機に敵わないということでもある。そこを乗り超えるには、その多機能性を使いこなさなければ意味がないわけだが、ほとんど大抵のことはケータイで十分済んでしまう昨今、そこまでのニーズを万人が持っているとは思えないのだ。


たぶんスマートフォンというデバイスの本来の市場は、今でもそんなに広いわけではない。ただその市場を爆発的に拡大させたのが他でもないiPhoneだ。iPhoneの登場によって、スマートフォンはおそらくスマートフォンを超えた何かに変貌したと言っていい。
ではiPhoneの何がそうさせたのか? その画面インターフェイスもiPhoneの斬新さのひとつであることは間違いないが、それはあくまでもスマートフォンの外見を魅力的に変えたにすぎない。iPhoneが本当に革新的なのは、マルチタッチスクリーンやモーションセンサー、カメラといった(それ自体は他でも使われている)要素技術を組み合わせながら、スマートフォンというベースの上にまったく新しい、かつ極めてユーザーフレンドリーなプラットホームを実現したことだろう。そこに例えばセカイカメラのような先進的なアプリが乗っかることによって、これまでになかったまったく新しいデバイスが誕生したということではないだろうか。
そうしてiPhoneが切り開いた市場は、もはやスマートフォンの市場ではないと思う。そう考えれば、かつてのPDAブームとは異なって急速に拡大をつづける現在のスマートフォンブームにも納得はいく。
そういう意味では、いま重要なのは実は「スマートフォン」ではなく、あくまでも「iPhone」なのだということになるのだが。


ところで、iPhone(やそれを追いかけるandroidフォン)がどこまで普及するか、その分水嶺は今後主婦層が動くかどうかにある、とぼくは思っている。


最近のある調査では、10代から40代の主婦644人に聞いたところ、スマートフォンの所有者は2.6%だったそうだ。非所有者の興味度は、「すごく興味がある+興味がある」37.7%に対し、「あまり興味はない+興味はない」が50.7%。スマートフォンにしない理由としては、トップの「端末の価格が高い」32.9%にほとんど並ぶかたちで、「何ができるかよく分からない」「今の携帯電話に満足している」がともに2位(32.4%)となっている。

(出典: MMD研究所)

たとえiPhoneの革新性をもってしても、主婦層に定着するところまで拡大するかはアヤシイ、と思うのだがどうだろうか。主婦層に定着するためには、エンターテイメント性やガジェットとしての面白さだけでは十分ではない。日常の中にとけこんだ必要不可欠なツールとして進化することが必要だし、iPhoneであれスマートフォンであれ、決してそうした存在にはなりえないと思うのだが・・・。

物流企業アマゾン

潜入ルポ アマゾン・ドット・コム (朝日文庫)

潜入ルポ アマゾン・ドット・コム (朝日文庫)

世の中はIT、ITと持てはやすが、どこまで行ってもITは手段・手法にすぎない。
IT企業と言えど現実の世界と無縁なわけではなく、結局どう収益化するかはどこまでも泥臭いビジネスの問題だ。


そんな観点から、書店でふと目にとまったのがこの本。


以下はアマゾンの内容紹介から

・・・アマゾンジャパンの物流倉庫に、ひとりのジャーナリストが潜入する。厳しいノルマとコンピュータによる徹底的な管理。そしてアマゾン社員を頂点とする「カースト制度」のなか、著者が目にした「あるもの」とは……。2005年に出版された単行本を大幅加筆した衝撃のノンフィクション。驚異的な成長の裏に隠された真実に迫る。・・・

タイトルにも「潜入ルポ」とあるように、サヨク系のニオイがあちこちに漂うのがちょっとうっとおしかったりするが、そこを捨象して読んでいくと、実際にアマゾンの物流倉庫にアルバイトとして入り込み、そこで働きながら日々見聞きした情報はなかなか興味深い。


昨年まで自前の物流倉庫を持とうとしなかった楽天ブックスに対し、アマゾンは当初から巨額の物流投資を行ってきたことで知られる。
そういう意味では、ネット企業としての側面と物流企業としての側面がアマゾンにはあると言っていい。


そして、(これはアマゾンに限らないことだが)この著者のように「物流」に着目すると、その企業のビジネスモデルの根幹が見えてくるから面白い。


社会の表層を滑っていく流行としてのITではなく、ビジネスとしてのITを捉えたいと思うならこの本は絶対オススメだ。


※その他、下記の本も同じ理由からオススメ(こっちは小説ですが)。

ラストワンマイル (新潮文庫)

ラストワンマイル (新潮文庫)

財布をめぐる冒険(番外編)


前のエントリー「財布をめぐる冒険」(id:moaii:20110103)では書ききれなかった商品をいくつか。


下の商品は、札と小銭入れを別々に携帯していた頃にカード入れとして使っていた商品だ。
マネークリップとしても使えるので、小銭入れを別に持つ方にはこれもいいかもしれない。

また、今回の財布をめぐる冒険のきっかけとなったのが、実はこちらの商品だ。

「二つ折りにしたときにコインとカードが重ならない」というのがコンセプトで、画期的な薄さの秘密になっている(上の図を参照)。
かなり心惹かれたのだが、いかんせん値段が張る(14,800円)のと、やはりコインの収納数に不安があるため、見送った。
これで材質を低コストなものに変えるなどした廉価版が出るなら買ってもいいのだが・・・。

財布をめぐる冒険


今度は財布を買い換えた。


以前は小銭入れだけで、札は無造作にポケットに突っ込んでいたのだが、ケータイとスマートフォンを二台持ちするようになって、ポケットの数が足りなくなった(笑)。


最初に買ったのは、ノーマディックのこの財布。

ノーマディックは、元々バッグを探している時に見つけたブランドで、「移動(街歩き、ビジネス、トラベル、コスメ、ステーショナリー)をテーマとした生活雑貨」をテーマに、いろんな種類のバッグをはじめ財布、ペンケースなど、いずれも収納性にきわめて富んだ製品を作っている。
サイトではその収納性がイラストで説明されていて、こだわりを感じさせる(製品にも添付)。

しかしこの財布、使っているうちに気になってくるのが、財布を開くたびにベルクロのテープをベリベリと剥がさなくてはならないこと。
毎度やっているとこれが意外と面倒だし、半年も使っているとベルクロテープ自体がだいぶ傷んできた。
そこで考えたのが、いちばん使用頻度の高い小銭入れを外側に配置したタイプにしたらどうだろうかということだ。
そこで買ったのが同じノーマディックのこの製品(色はまたイエロー)。

これだと、小銭入れが外側についているので、いちばん頻度の高い小銭の出し入れにいちいちベルクロを剥がす必要がない。
カードが2、3枚入るポケットも外側にあるので、これも都合がいい。


しかしまた半年が経って(笑い)、今度は小銭入れと札入れの位置関係が悪いことが気になりだした。
コンビニなどで買い物をして、まず小銭入れを引っかき回す。足りないときは財布をひっくり返して札入れから札を引っ張り出すのだが、この時小銭入れのファスナーを開けたままにしておくと、小銭がこぼれ落ちそうになってしまう。
小銭と札を組み合わせて支払うことも多いので、札を出すために一度ファスナーを閉じてしまうとこれがまた面倒だ。


カード入れの向きもよくなかった。一般的にカードは上から入れるタイプのものが多いと思うが、この財布ではカード入れが右に90度傾いていて、横から入れるようになっている。札入れから札を取り出そうとすると、札入れの口が右側にくるように財布を90度傾けて持つかっこうになるが、このときカード入れは下に向いた状態になってしまうのだ。せめてこの状態で上を向いていてくれればかえって使いよくなったかもしれないのだが・・・。


ノーマディック以外の財布もいろいろ探してみた。希望はなるべく薄型で、かつそんなに値段が張らないこと。本革製のものは好みでないし、やたらと高級な財布を持つ趣味もないので、値段は安い方がいいのだ(またすぐ買い換えるかもしれないし^^;)。
例えばこんな財布を見つけた。

[rakuten:vanilla-vague:10372295:detail]

なかなかオシャレで(希望はオレンジ)、値段もそこそこ。小銭入れは外側にあるし、ベルクロテープも使ってない。
しかし、最後まで迷ったのだが、これも小銭入れと札入れの位置関係はあまりよくないし、カード入れの向きもよろしくない。


ということで最終的に選んだのがコレ。

実はこの財布、小銭入れは内側にある。それでもベルクロでとめるタイプではないので、取り出しにくさはない。
結局最初のノーマディックの財布も、小銭入れが内側にあることが問題だったのではなく、ベルクロをいちいち剥がさなければならないことが問題だったのだ。実際、小銭入れが外側にあったとしても、札やカードやその他のものを取り出すには結局ベルクロを剥がさなければならない。しかも、小銭入れを外側に持ってくると、どうしても札入れとの併用に問題が起こってくる。


という訳で、ベルクロなし、小銭入れ内側タイプのコレに決めた。
ちなみに、カード入れは正しく上から入れる方式になっている。着脱可能なカードケースもついていて、プラス4枚のカードが収納できるが、かなり厚みがましてしまうのでこちらは使っていない。
カラー展開が黒かグレーしかないのがいまひとつだが、これまで気に入って使っていたイエロー系の財布は汚れやすいのが欠点だった。毎日なんども取り出すものなので、どうしても汚れやすい。ここはあえて黒もいいかと思って、頭を切り替えることにした。


という訳で、この2年ほどの財布探しはここに一応の終結をみたことになる(たぶん)。

使いやすいデイパックを求めて

仕事の技術からはすこしハズレるが、通勤グッズについて語ろう。


最近は通勤にデイパックを使っている。
以前はいわゆるビジネスバッグを使っていたのだが、疲れてくると帰り道などバッグを肩に引っ掛けて持っていることが多い。どうせ肩にかけるのなら最初からそういうバッグにしてしまえばいいんじゃないかと、ある日ふと気づいた。
そこで選んだのがデイパックだ。


最初に使い出したのはユニクロで買ったオレンジイエローのデイパックだった。
ポケットが多く、オーガナイザーパネルもついているなど、小物関係の収納もバッチリ。色も含めけっこう気に入っていた。
ただ、使っているうちに気になってきたのは、メインルームが大きすぎることだった。
デイパックというやつは、その性質上メインルームに何でも詰め込める構造になっているかわり、中の仕分けが割と難しい。
そこで購入したのがコレ。

インナーバッグと言えばカバンの中身が有名だが、ちょいと値段が高い。
こちらは、バッグから財布まで収納性に優れた製品を開発・販売していることで有名なノーマディックの製品で、値段も手頃だ。
という訳で、しばらくはこいつをデイパックのメインルームに入れて使っていた。


しかし、これもしばらく使っていると気になるところが出てくる。
どうも底の方がデッドスペースになるのだ。
使用頻度の高いものは浅いところに入れるので、深いところには必然的にあまり使わないものを収納することになる。そういうものは取り出すことも少ないので入れっぱなしに近い状態になり、やがては必要なのかどうかもわからないようなものが堆積してゴミ溜めのようになってしまうのだ。
大きなメインルームを仕切って使いやすくするためにインナーバッグを入れてみたのだが、そもそもの問題はメインルームが大きすぎる(深すぎる)ことであって、どう仕切ったところでその問題は解決できないのだった。
それに、考えてみればそもそもが通勤ユースなのでそんなにたくさんの荷物を運ぶわけでもない。最初からおおきな収納スペースは必要ないのだ。


となれば答えはただひとつ。デイパックそのものを小さめのものにすることだ。
そこでちょうど目に止まったのが、ニッセンの通販で売っていたランボルギーニのデイパックだ(すでに販売終了しているらしくネットでは見つからなかったので、写真で紹介できないのが残念)。
コンパクトな割にポケットがたくさんついていて、収納力にはまったく問題がない。デザイン的にも、黒いボディにファスナータブの赤が映えてなかなか申し分ない。
結局1年以上使っていたのだが、メインルームの底がゴミ溜めのようになってしまうのはやはり同じだった。メインルームだけではない。ポケットの中も下の方はどうしてもゴチャゴチャとしてきてしまう。
結局、サイズは小さくても、深さがあるとデッドスペースになってしまうことがわかった。


そこでいい解決策はないかといろいろ探してみるうち、こんなデイパックを見つけた。

やはり小さめのデイパックなのだが、カタチが正方形に近い。横幅に比べて縦幅が小さいので、入れたものが底の方で滞留しないのがミソだ。
ポケットは前面にファスナータイプのものがふたつあって、ひとつは小分け構造になっているので携帯やメガネケースなどを分けて入れられる。メインルームはコンパクトながらもA4サイズの書類がすんなり入る大きさ。前に使っていたランボルギーニのバッグは縦長のせいかA4サイズの書類を入れようとすると、隅が若干折れそうになっていたので、これはうれしい。メインルームにはファスナー付きの小物ポケットも付いている。
背面にもポケットがあって、貴重品などを入れられるようになっている(このおかげでこのデイパックは海外旅行にもおすすめ仕様となっていて、地球の歩き方ストアでも販売している)。さらには、両サイドにもポケットがあるが、片方は500ミリペットボトルが入る大きさになっていて、しかもメインルームからも出し入れできる(ぼくはココに折りたたみ傘を入れている)。
詳細はリンク先で写真付きで紹介しているのでそちらを見てほしい。


ちなみにこいつを最初に見つけたのは、ココなのだが、他にもいろいろとオシャレなデイパックが揃っている。それだけではない、各種バッグや財布なども揃ったセレクトショップなので、一度覗いてみてほしい。


さて、今のところデザインも含めこのデイパックで非常に満足しているのだが、ひとつ考えているのはメインルームに仕切りを入れるかどうか(先に紹介したノーマディックのインナーバッグは大きすぎて入らない)。
実はネットでこんな製品を見つけたのだ。

ボードにゴムのベルトを格子状に張り詰めただけの製品なのだが、これを使うとデジタルガジェットをカバンの中できっちり固定することができる。なかなか先進的なアイデア商品なのだ。
問題は、デジタルガジェットをそんなに持ち歩きはしないということなのだが・・・。

"冷たい校舎の時は止まる"再読


辻村深月の短編集「ロードムービー」が新書版で出た。

ロードムービー (講談社ノベルス)

ロードムービー (講談社ノベルス)

この作品は、デビュー作「冷たい校舎の時は止まる」の主人公たちのその後(およびその前)を描いた派生作品集だ。
ただし、いわゆるシリーズものとは違って登場人物のフルネームが最初に明かされることはない。多くの場合名前は伏せられているか、愛称が使われることによってすぐには誰とわからないような仕立てになっている。ただ、気をつけて読めば口調や職業、愛称などにヒントは隠されているので、誰が誰なのかを一話ごとに推理しながら読み進めていくのも楽しみのひとつと言っていいだろう。もっともぼく自身は「冷たい校舎」を読んでからだいぶたっていたので、読んでいる最中は誰がだれだかほとんどわからなかった。それでも、読み終わってからパズルのピースが次々とはまっていくのもなかなか楽しい感覚だった。
また先に出た単行本から二篇が追加になっているが、うち一篇は「冷たい校舎」とのつながりではなく、この本自体に含まれるある一篇とのつながりになっている。これがまたこの作品集全体の奥行きを深める結果になっていることも付け加えておこう。


そんなわけで、「ロードムービー」を読んでいるうちに親作品を読み直したくなって、「冷たい校舎」を再読した。

冷たい校舎の時は止まる(上) (講談社文庫)

冷たい校舎の時は止まる(上) (講談社文庫)


冷たい校舎の時は止まる(下) (講談社文庫)

冷たい校舎の時は止まる(下) (講談社文庫)

そこであらためて思ったのは、これはとても重い作品だなあということだ。辻村深月は生きた会話を描くのがうまく、そのためか割とすんなり読めてしまうのだが、その実扱っている題材はおそろしく重い。
例えばいじめ、例えば自殺--これは「amazon:名前探しの放課後]」とも重なる部分だ。また、デビュー第二作「[amazon:子どもたちは夜に遊ぶ」では凄惨な連続殺人が題材に採られていた。しかも辻村深月の筆は心理の奥深いところまでズンズン入っていくから容赦がない。
それでもウンザリすることもなく意外と軽快に読めてしまうのは、先にも述べたように会話と心理描写が生き生きとしていてとても自然なのと、最後に突き抜けるようなオチがどんでん返しとともにきっちり用意されているからだろうか。


ところで、「冷たい校舎」を再読しながら、「ロードムービー」で描かれた主人公たちのその後(またはその前)を思うと、また感慨深いものがあった。井坂幸太郎もそうだが、作品の登場人物を別の作品にも(シリーズものということではなく)さりげなく登場させる作家は近年増えているような気がする。しかし、多くの場合それは読者サービスのレベルにとどまっているのではないだろうか。
しかし、辻村深月の場合はある登場人物が作品をまたがって描かれることによって物語が重層化し、そこにある世界観がいっそう豊かなものになっているように思う。


辻村深月ほど、物語を重層化することで登場人物とその内面を生き生きと描き出す作家をぼくは他に知らない。